橋合戦

平家物語巻第四より「橋合戦(はしかっせん)」です。 平家と、平家に背いた以仁王の軍勢が宇治橋の上で戦います。 以仁王は、三井寺の堂衆(僧兵)を味方につけています。

平家物語:橋合戦 朗読mp3

あらすじ

昨夜の睡眠不足がたたったのか、以仁王は六度も落馬されました。
そこで宇治橋を渡れぬよう板をはずし、しばらく休憩を取りました。
平家方は、左兵衛督知盛(さひょうえのかみ とももり)を大将軍として、二万八千余騎で、宇治橋に押し寄せます。
双方、鬨の声をあげ、矢合わせとなります。

源三位入道頼政(げんさんみにゅうどう よりまさ)は、嫡子伊豆守仲綱(いずのかみ なかつな)と共に今日を最期の覚悟で兜をつけずに戦場に立ちます。

まず五智院の但馬が橋の上に進み、平家方の弓の攻撃をものともせず、橋の上で奮戦します。
飛んでくる矢を長刀で切り落としたので、以後「矢切の但馬」と呼ばれることとなりました。

筒井の淨妙明秀(つついのじょうみょう めいしゅう)は弓、長刀、太刀と武器を持ち替えながら戦います。
一度は川に落ちてしまいますが、這いもどり、橋の対岸へ渡り、平等院へたどり着きます。

明秀が渡ったのを手本として、以仁王方は次々と宇治橋を渡ります。
橋の上の戦いは激しさを増しました。

平家の方の侍大将、上総守忠清(かずさのかみ ただきよ)は、大将軍知盛にこのまま宇治川を渡らず、迂回することを進言します。

足利又太郎忠綱(あしかがのまたたろう ただつな)は、時期を逃せば以仁王が南都にたどり着いてしまう、今より他に攻めるときは無いと言い、 利根川で秩父と足利が争った際、馬筏で川を渡った故事を引き、自ら先頭に立って宇治川に馬を乗り入れます。

忠綱の的確な指導の下、三百余騎が一騎も流れず、対岸にたどり着くのでした。

朗読について

平家物語で最初に合戦が描かれるのがこの「橋合戦」です。
これ以前にも「俊寛沙汰 鵜川軍」で地方の小競り合いは描かれますが、 大規模な戦闘行為はこの「橋合戦」が初めてです。

朗読するのに大変気持ちのいい章です。ストレスが吹っ飛びます。
物語後半の一の谷や壇ノ浦といった悲壮な雰囲気とは違い、合戦の勇ましさ、豪快さが前面に出ています。

個人プレイの三井寺、チームワークの平家方という対照です。
三井寺側は、昔ながらの「やあやあ、我こそは」式で「名乗り」をあげ、 ビャンビャン長刀をふりまわして戦うのです。

平家物語にはこういった「名乗り」がいくつもありますが、うまいこと発音できた時は本当に気持ちいい。スカッとします。

蜘蛛手、かく縄、十文字、蜻蛉返り、水車、八方すかさず切ったりけり
目貫の元より丁ど折れ、くつと抜けて、河へざつぶとぞ入りにける
こういう所、読んで本当に気持ちいいです。単語の意味はよくわからないですが 明秀が調子に乗って暴れまくっている、そのハイテンションがよく出ています。

一方、平家方の足利又太郎忠綱は、的確な指導力で、宇治川を渡す、17歳とは思えない指導力。
ブライト・ノア並の大人っぷりです。

実際、宇治川を見下ろすとザーーとものすごい速さです。これを何百騎という馬が 一気にに渡ったんだなぁ…と、宇治橋を渡ったときワクワクしました。


posted by 左大臣光永 | 平家凋落
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