平家物語巻第六より「廻文(めぐらしぶみ)」です。
木曽義仲の登場です。
あらすじ
清盛は、後白河法皇につらく当たったのを(「小督」)、さすがにまずいと思ったのか、安芸の厳島の内侍の娘を
後白河法皇に送りました。
公卿、殿上人が多く供奉して、まるで女御が入内するような華やかさでした。
高倉上皇が亡くなってから日も経ていないのに、けしからんと人々は言い合いました。
その頃信濃国に木曽義仲という源氏がありました。
義仲の父、帯刀先生義賢者(たてわきせんじょう よしかた)は、甥の悪源太義平(あくげんた よしひら)に
討たれました。
義仲の母は二歳の義仲を木曽中三兼遠(きそちゅうぞう かねとお)に託し、
義仲は兼遠の元で成長します。
ある時義仲は兼遠に打倒平家の志を語ります。
兼遠は「それでこそ八幡太郎義家の末裔です」と感激します。
義仲の先祖源義家は、「八幡太郎義家」と号され、武勇に優れた人でした(「鵺」)。
義仲は十三で元服する際、義家にあやかって義仲を名乗ったのです。
兼遠は廻文(回覧板のように、順繰りに送る文書)を送り、謀反へ加わるよう呼びかけます。
信濃、上野(こうずけ)の源氏らは皆、それに応じました。
「廻文」について
平家物語中盤のキーマンである木曽義仲は、この「廻文」の章で初登場です。
案外アッサリ書いてあるので驚きました。
人形劇平家物語では、中原兼遠が青年義仲に「あなたの実の父は、故帯刀先生義賢様」と告げ、
義仲がガーーンとショックを受ける場面がドラマチックに描かれていました。
この「廻文」では語られていませんが、孤児になった義仲を信濃へ逃がす際に
仲立ちしたのが斉藤別当実盛(さいとうぺっとう さねもり)です。
後に義仲は北陸篠原の戦場で、その実盛と皮肉な形で再会することになります(「実盛」)。