平家物語巻第九より「越中前司最期(えっちゅうぜんじの さいご)」です。
一の谷の合戦中の一幕。平家の越中前司盛俊は、源氏の猪俣小平六則綱に討たれます。
あらすじ
義経が鵯越を駆け下り奇襲をかけると、平家軍は総崩れとなります(「坂落」)。
新中納言知盛は、児玉党に西の陣が破れたことを知らされ、落ちていきます。
越中前司盛俊は、もはや逃げ切れないと馬を止めて敵を待っていました。
襲ってきた猪俣小平六則綱(いのまたのこべいろく のりつな)と交戦の後、取り押さえます。
命乞いをする小平六則綱に越中前司盛俊は怒ります。
「盛俊は不肖の身とはいえ、平家の一門である。源氏に頼ろうとは思わない」と、首を斬ろうとします。
しかし「捕虜の首を斬るのか」と言われ、助けます。
しばらくして人見の四郎という源氏の武者が二人に近づいてきます。
猪俣小平は、「ここで越中前司に襲いかかれば、いくらなんでも加勢してくれるだろう」と
考え、盛俊を突き倒し、ついにその首を取ります。
「越中前司盛俊の首を取ったぞ」と宣言し、その日の一番の功名者として名を記されるのでした。
「越中前司最期」について
越中前司盛俊は、同じ平家でも清盛の家系からは遠い血筋で、父盛国と共に清盛の家臣として仕えた人です。
出世に見放されながらも武士の誇りを失わなかった盛俊からすると、猪俣小平六の
命乞いは姑息な、腹立たしいものに思えたのでしょう。
「越中前司」というのは、「前の越中国司」という意味で、源氏が官職を停止させたために
この呼び方をしているわけです。
系図を見ると、忠盛(清盛の父)と横に並んでいます。
生まれた年は不明ですが、かなり高齢なのでしょう。
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