朗読 平家物語平家繁栄 行隆之沙汰

行隆之沙汰

平家物語巻第三より「行隆之沙汰(ゆきたかのさた)」です。
清盛が多くの人の官職を停止する中、景気のいい話もありました。
前左小弁藤原行隆(さきのさしょうべん ふじわらのゆきたか)は、衣食にも困る暮らしをしていましたが、清盛から出仕を許されます。

平家物語:行隆之沙汰 朗読mp3

あらすじ

重盛亡きあと、清盛の暴走は留まるところを知らず、 朝廷に難癖をつけ(「法印問答」)、関白基房(もとふさ)以下四十三人の官職を停止しました(「関白流罪」)。

関白藤原基房(もとふさ)の侍、江大夫判官遠成(ごうのたいふのほうがん とおなり)は、すでに六波羅から討手がさしむけられたときくと、子息江左衛門尉家成(ごうざえもんのじょう いえなり)をつれて、稲荷山にうちあがります。これより東国へ落ち下り伊豆国の流人、兵衛佐頼朝をたよろうとも思いましたが、今は罪を受けている人で、とてもかなわないと考えて、川原坂の宿所に立ち返ります。そこへ六波羅の軍勢が攻め寄せたので、親子ともども腹切って、館に火をかけほのおの中で焼け死にました。

そもそもこんなにも多くの滅び損なわれたのは、当時関白になられた二位中将殿(藤原基通)と、前の殿(基房)の子、三位中将殿(藤原師家)が中納言の地位をあらそったためという。

ならば関白殿おひとりがどうような御目にもあわれたらよいところ、四十余人までの人々が事にあうべきだったのか。

さてその頃、前左弁藤原行隆(さきのさしょうべん ふじわらのゆきたか)という人がいました。
ここ十余年は官職にありつけず、衣食にも困る暮らしぶりでした。

その行隆に清盛から呼び出しがかかります。行隆が恐る恐る参上すると、意外な答えでした。
「貴方の父上は、大変よくしてくれた。長年不遇な暮らしぶり心苦しく思っていたが、 法皇が政務をとっておられる間は仕方がなかった。
今は出仕してください」
ということでした。

その上、荘園と出仕用の様々な物品まで下され、行隆は躍り上がる気分でした。

「行隆之沙汰」について

清盛がバンバン人を辞めさせ、粛清し、さらには法皇の身柄まで拘束する、いわゆる「治承三年の政変」と呼ばれる事件の中、こういう小粋な話もあったのです。

フリーターが大企業の正社員になれたということです。
親兄弟も大喜びです。老後の心配もなくなるわけです。

しかし平家物語は、「ただ片時の栄花とぞ見えし(しょせん一時的な栄光だ)」と、バッサリ切り捨てています。

藤原行隆は最終的に正四位下まで出世した人で、そんな意地悪な言い方をしなくてもいいと思うんですが…。

実家で声を張り上げて朗読しているので、かなり耳にうるさいです。
このうるささを反省した私は、やや声を抑え、マイクにあと5センチ近づくようになります。

いや、声量がどうのこうの言うよりも、「大ホールでライブをする」感覚から 「向かいあった個人に語りかける」感覚にかわったというか。
そのきっかけとなった、思い出深い章です。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄