平家物語巻第四より「信連(のぶつら)」です。高倉宮(以仁王)の侍、長谷部信連(はせべ のぶつら)は高倉宮を逃がし、
自分は屋敷に踏みとどまって六波羅からつかわされた役人たちと戦います。
平家物語:信連(二) 朗読mp3
あらすじ
熊野別当湛増(くまののべっとう たんぞう)から以仁王謀反の報告を受けた清盛は、
以仁王の元に捕縛の使いを送ります(「鼬之沙汰」)。
それを察知した以仁王の侍、長谷部信連(はせべ のぶつら)は以仁王を女装させて逃がします。
信連は屋敷に残り、見苦しいものがあれば片付けようとしていました。
すると以仁王の秘蔵する「小枝」という笛が置きっぱなしだったので、それを持って以仁王に追いつきます。
以仁王は感激し、このまま共に加われとすすめます。
しかし信連は、役人たちが来たとき誰もいないでは武士の面目が立たないと、また屋敷に戻ります。
以仁王の御所には、源大夫判官兼綱・出羽判官光長ら三百余騎が押し寄せました。
信連はこれとたった一人で奮戦、十四五人を切り伏せた後、捕縛されて六波羅へ引っ立てられます。
宗盛の糾問に堂々と答えた信連の態度に平家一門の人々は感心し、
清盛も殺すことを惜しみ、伯耆の日野へ流すにとどめました。
源氏の世になってから、頼朝は信連のこの時の行いに感心し、能登国に領土を取らせたということです。
「信連」について
以仁王の侍、長谷部信連の話です。「長兵衛尉信連」といっていますが、
名字「長谷部」の「長」に役職「左兵衛尉」をひっつけて「長兵衛尉」と
言っているのです。
信連が三百人を相手に一人で戦う激しいバトル、そして六波羅にひったてられての堂々とした
口上、朗読も気合の入るところです。
悲惨な末路をたどる人が多い平家物語ですが、この信連は後に
鎌倉の御家人として名を連ね、能登の国の地頭になっています。
以仁王の笛、「小枝」が出てきますが、後に「宮御最期」で
首なしとなった以仁王の屍骸の腰に(生前のまま)この笛がさしてある描写があり、
痛々しいです。
以仁王が女房装束で夜の京都を逃げる様子は、
王朝物語めいたきらびやかさに満ちています。
義経が女装して弁慶と戦ったとか(「義経記」)、
木曽義仲の遺児、義高を女装させて頼朝から逃がしたとか(「吾妻鏡」)、
この時代を背景にした作品には、女装に関するエピソードがいくつか見えます。
「女装した貴人」というのは、一種の原型的なイメージとして、
人の心を引き付ける何かがあるのかもしれないです。