法印問答

『平家物語』巻第三より「法印問答(ほういんもんどう)」です。

平重盛の死後、「入道相国(平清盛)が朝廷を恨んでいる」と噂が立ったので、後白河法皇は清盛のもとに静憲法印をつかわします。

清盛は静憲に対して、後白河法皇に対するさまざまな恨み言をのべます。

平家物語:法印問答(一) 朗読mp3
平家物語:法印問答(二) 朗読mp3

あらすじ

重盛の死後、清盛は福原の屋敷に引きこもっていた。

同年(治承3年)十一月七日の夜、地震があった。

陰陽守安倍泰親(あべのたいしん あべのやすちか)は、「すぐにも緊急のことが起こるだろう」と恐れた。

若い公卿殿上人らは本気にしなかったが、この泰親は安倍晴明五代の末。占いなどは一つもはずしたことがない、大した人物であった。

十一月十四日、清盛が大軍を率いて福原から都へ登ったという噂が立ったので、人々は恐れた。「入道相国は朝廷を恨んでいる」という言い広めた。

関白藤原基房が高倉天皇に奏上して「今度相国が都へのぼったのは基房を滅ぼすためです」と申し上げる。高倉天皇は「そなたにもしものことがあったら…」と涙を流す。

同十五日、入道相国が朝廷を恨み申し上げていることが確実と噂されたので、後白河法皇は静憲法院を西八条に遣わす。

静憲法院は朝から晩まで待たされて、ようやく清盛に面会がかなった。

清盛は、さまざまに朝廷の非を難じる。

内府(重盛)が亡くなったのに喪に服さないばかりか、八幡(石清水八幡宮)に御幸し、御遊されたこと、

重盛が知行していた越前国を重盛が亡くなるとすぐ没収したこと、

中納言に欠員があった時、婿の藤原基通を推挙したが、これを無視し関白基房の子、師家を任じたこと、

そして鹿谷事件の時、後白河法皇自身が裏で糸を引き平家を滅ぼそうとしていたことなどを挙げ、 清盛は怒った。

静憲は鹿谷事件の時、その密談の場に顔を出したこともあり(「鹿谷」)、震え上がる思いだったが、堂々と答える。

「官位も俸禄も、そなたは十分に恩を受けている。家臣が君子に歯向かうのは、礼に反することだ」と。

平家の人々は、怒り狂う清盛の前で一歩も引かない静憲の堂々たる態度に感心した。

朗読について

朗読のポイントは清盛と静憲のトーンの違いです。

感情のままに、赤くなったり青くなったり、ワーーッと思いを述べ立てる清盛、それに対して内心ビビりつつも、 毅然とした態度でビシャッと言ってのける静憲、この二人のやりとり、対比です。

登場人物を二人にしぼって問答させるという構造は、「西光被斬」でもありましたが、 平家物語はこのように登場人物を絞り、その役割を単純化して物語ることが多いようです。

静憲法院は、「鹿谷」で俊寛や康頼が平家打倒と出来もしない目標をかかげ酔っ払って大騒ぎする中、 一人冷静に事態を見守っています。
聡明な人物です。

今回は、なるべく腹の底から声を出し、なおかつ耳をつんざく 不愉快さが出ないよう気をつけました。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄
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