平家物語巻第九より「宇治川先陣(うじがわ せんじん)」です。
義経配下の梶原源太景季(かじわらげんた かげすえ)と佐々木四郎高綱(ささきしろう たかつな)は、
宇治川の先陣争いをします。
あらすじ
都の治安を乱す木曽義仲を追討すべしと、鎌倉の頼朝に後白河法皇より院宣が下ります。
頼朝は、弟の義経を大将とする討伐軍を京都へ発向させます(「生ズキノ沙汰」)。
佐々木四郎高綱の馬はいけずき、梶原源太景季の馬はする墨という名の、いずれも劣らぬ名馬でした。
尾張国(現愛知県)より大手の範頼軍三万五千、搦手の義経軍二万五千余騎に分かれて京都へ攻めのぼります。
正月二十日(旧暦)のこと。谷の氷が解けだし、宇治川は大変な流れです。
義経は、迂回するか、水足が治まるのを待つか、配下の武将たちに意見を求めます。
これは、彼らの覚悟を見ようとしたのでした。
畠山重忠が答えます。
「宇治川は、琵琶湖から流れる大河です。いくら待っても水足が納まることはなく、また、敵に引きあげられた橋を
再びかけるのも現実的でありません。
まず私が馬を踏み入れ、水深を確かめてみましょう」
畠山重忠が一族を集めて馬を整えていると、平等院の東北のほうから、二騎の武者が
競いながら走ってきます。
梶原源太景季と佐々木四郎高綱です。
以前から何かとお互いを意識し張り合っていた二人です(「生ズキノ沙汰」)。
今回も、どちらが宇治川の先陣に乗り込むか、必死でした。
まず梶原が、次に佐々木が続きます。
後ろから佐々木が声をかけます。
「梶原殿、馬の腹帯(はるび。鞍と馬の胴体を固定する帯)が解けております」
それを聞いた梶原が腹帯を調べていると、スッと佐々木が馳せ抜き、宇治川へ乗り込みます。
「騙された!」と思った梶原は後を追いますが、はるか下流に流されてしまいました。
佐々木は対岸に上がり、高らかに名乗りを上げます。
畠山重忠も、すぐに宇治川を渡ります。
乳母子の大串次郎が馬を流されてしまったというので、畠山は「やれやれ」という感じで
大串次郎を岸の上へ投げ上げてやります。
大串次郎は自分が先陣を切ったと勘違いして勇ましく名乗りを上げたので、敵も味方も大笑いしました。
畠山重忠は予備の馬に乗って打ち上がり、木曽義仲の家の子、長瀬判官代重綱(ながせの
はんがんだい しげつな)を討ちます。
義仲軍はしばらく持ちこたえますが、義経軍の勢いに押されて後退していきます。
朗読について
梶原景季と佐々木高綱のかけあいが気持ちいいです。
思いっきり声を出して、スカッとなれます。
話も単純ですし、人に聞かせても喜ばれるでしょう。朗読向きの章です。
特に佐々木高綱の名乗り、腹筋を使います。
「宇治川の先陣ぞやーー」と最後の伸ばすところを、シッカリ腰に力を入れて発声しないとイカンです。
でないと喉をやられます。
腹式呼吸の成果を確かめるに、最適です。
この時代は通信手段がなく、軍隊には書記官がついていったわけです。
だからまず、その書記官に自分の手柄をアピールしないといけません。
命がけで先陣を切り敵の大将を討ち取っても、か細い声では書記官に聞こえず、
恩賞に漏れてしまうのです。アホらしいことです。
しかも、ワーーとメチャクチャやかましい戦場ですから、なおさら通る声が
必要なわけです。
腹から声を張り上げるのです。
恩賞のためです。この時代の恩賞は土地です。土地をもらえるということは、
そこに屋敷を建て田畑を耕し収入を得て子々孫々まで繁栄できることです。
だから腹の底から声を張り上げるのです。
単に自分一代の名誉とか、金のためでなく。
死にもの狂いの自己アピールです。
多分、武士の日々の調練の中には「大声を出す」トレーニングも含まれていたんじゃないかなあ。
そういうことを考えながら朗読しました。