平家物語巻第四より「通乗之沙汰(とうじょうのさた)」です。
相少納言は有名な相人(人相見)でしたが、以仁王に「位につく相あり」といって謀反を薦めたのは失態でした。
それに関連して、いにしえの有名な相人、通乗(とうじょう)のことが語られます。
あらすじ
以仁王の宮(皇子)たちへの六波羅の探索は続きます。
奈良にいた宮は、出家して北国へ逃れました。
後に木曽義仲がこの宮を連れて上洛し、主君と仰ぐため還俗(僧が俗人に還ること)させます。
「木曽の宮」とか「還俗の宮」と呼ばれたのはこの皇子のことです。
昔、通乗(とうじょう)という相人(人相見)がいました。
この通乗は、藤原頼通、教通兄弟が天皇三代の間、関白の位につくことを予言しました。
内大臣藤原伊周が流罪にあうことも言い当てました。
また聖徳太子は、崇峻天皇が臣下の曽我馬子に殺害されることを預言しました。
昔の人は、かならずしも職業として人相見をやっていたわけではないのですが、このように
立派な占いをしたものです。
ところが相少納言維長は以仁王を「将来帝位につくでしょう」と占い謀反を薦めました(「源氏揃」)。
いにしえの偉大な相人たちと比べるまでもなく、大失態というべきでしょう。
昔から皇族でありながら不遇をかこった人はいくらもいましたが、かといって謀反などおこさず、うまく身を処したのです。
子孫繁栄の道を自ら閉ざしてしまった以仁王とは、たいへんな違いでした。
以仁王謀反の間調伏の祈りをささげていた僧たちに褒賞が贈られました。
宗盛の子清宗は三位に叙せられました。十二歳で三位は異例の出世といえます。
但し書きには「源茂仁・頼政父子追討の賞」と書かれました。
「源茂仁」とは以仁王のことです。後白河法皇の皇子を討っただけでもひどい話なのに、
臣籍にひきおろし、このように表記したのでした。
通乗(登照)について
今昔物語 巻二十四 第二十一話「僧登照、朱雀門の倒るるを相ずること」に登場する僧が、この「通乗」です。
昔、登照という人相見で有名な僧がいました。
ある時登照が朱雀門の前を通りかかると、門の下にいる大勢の人に顔に一様に死相が出て
いました。
「こんな大勢にいっぺんに死相が出るとはどういうことだ?…そうか、朱雀門が倒れるのだな!」
そう判断した登照は、朱雀門の下にいた人に避難をよびかけます。
すると、大風でも地震でもないのに登照の言葉どおり朱雀門が一瞬のうちに倒壊しました。
登照に従って逃げた人は助かり、無視して門の下に留まっていた人は潰されたという話です。
「大勢の人に顔にいっぺんに死相が出てる」というのが、なかなか不気味なシチュエーションです。
写真に撮ったらさぞとんでもない情況になっていたでしょう。