平家物語巻第三より「赦文(ゆるしぶみ)」です。
中宮徳子が懐妊しますが、難産であるため悪霊調伏の儀式が持たれ、
鬼界カ島の流人たちにも赦免が下ります。
あらすじ
治承二年の正月が来ます。清盛と後白河法皇の確執は深まったままでした。
先年清盛が西光法師を処刑し(「西光被斬」)、大納言成親を流罪に
処したこと(「大納言流罪」)を、後白河法皇はまだ怒っており、清盛も後白河法皇が
鹿谷の陰謀に加担していたことを知って以来、警戒していたのです。
同七日、東の空に彗星が出ます(不吉な前兆)。
そのころ中宮徳子が懐妊し、皇子ご誕生の祈りが熱心に捧げられます。
難産を鎮める儀式の場で、霊媒となる童に悪霊が乗り移ります。
保元の乱に敗れた讃岐院や藤原頼長、昨年処刑された西光法師、鬼界が島の流人どもの
生霊のようでした。
清盛は讃岐院の死霊を鎮めるためその墓所に勅旨を送り、「崇徳天皇」という号を送ります。
藤原頼長に増官・贈位が行われます。
門脇宰相教盛は、重盛に「鬼界が島の流人たちを召し返すことが一番の功徳です」と言います。
鬼界が島に流された丹波少将成経は教盛の娘婿なのです。重盛はこれを清盛に伝えます。
清盛はほかの二人は赦したが、俊寛は赦しませんでした。
こうして鬼界が島へ、赦免の使者が出発します。
(→次章「足摺」へ)
伏線の多い章です。鬼界が島の流人を
全員釈放すべきところを、一人残した、その中途半端さ。これは将来に禍根を残すでしょう。
平家物語は安徳天皇の誕生からして将来に暗い影がさす描き方をしているのです。ここがポイントです。
俊寛一人が赦免に漏れた理由は、清盛の台詞によると、「ワシが目をかけてやったのに
裏切りおって」という、可愛さ余って憎さ百倍な感じですが、「愚管抄」などによると
使いが到着した時にすでに俊寛は死んでいたようです。