平家物語巻第四より「源氏揃(げんじぞろえ)」です。
源三位入道頼政が、高倉宮以仁王に謀反をすすめます。
あらすじ
安徳天皇の即位式は無事終わりましたが(「還御」)、世の中は鎮まりませんでした。
後白河法皇の第二子、以仁の王(もちひとの おおきみ)という方がいました。
三条高倉に御所があったので、高倉宮とも呼ばれます。
才覚すぐれた方で、天皇の位につくだろうといわれていましたが、故建春門院
(高倉天皇の母)の嫉みにあい、不遇なまま今年は三十歳を迎えていました。
ある夜、源三位入道頼政がこの高倉宮の御所に来て、平家を討つことを勧めます。「もし
あなたが令旨を発すれば、各地の源氏が馳せ散じるでしょう」と、強く勧めます。
高倉宮はそうは言われても躊躇していましたが、ある時相少納言と呼ばれる人相見の名人に
「位につく相があります」と言われ、決意を固めます。源十郎蔵人行家を令旨の使いとして
各地に遣わします。
伊豆の頼朝、信濃の木曽義仲らに令旨が届けられる中、熊野別当湛増(くまののべっとう たんぞう)
は、平家に堅く忠誠を誓っていたので源氏に加担する那智・新宮の勢力に合戦を挑みます。
三日合戦し、さんざんに破られ、湛増は本宮へ退却します。
以仁王は継母の建春門院に嫉まれ、親王宣旨も受けられず、30歳過ぎまでぶらぶらしていました。
鬱屈したものがあったでしょう。自分にも何かできるはずだ。それとも俺はいらない人間なのか、と。
そこへ頼政のじいさんがいらん知恵をつけ、担ぎ上げたわけです。
あんまり世間知らずの若者をおだてるものではないと思います。大変なことになります。
普通、以仁王は「後白河法皇の第二子」と称されますが、実際は第三子です。兄が早くに
出家し、守覚法親王となったために、「第二子」と言われるのです。
守覚法親王は、「経正都落」で、経正が琵琶「青山」を返しに行く、仁和寺の御室です。
意外なところで人物の相関関係があって、平家物語は面白いです。