平家物語巻第五より「都帰(みやこがえり)」です。
福原への強引な遷都は、わずか半年で挫折します。
あらすじ
福原への強引な遷都(「都遷」)は大変な不評でした。延暦寺、興福寺を始め上から下まで苦情
を訴えたので、さしもの強引な清盛も都帰りを決めざるを得ませんでした。
治承四年十ニ月二日、都帰りが行われます。新都福原は大変不便なところで、
こんな所に誰も一刻も残りたくない風でした。
今回の都遷りが招いたのは混乱と破壊だけでした。
今回の遷都の真の理由は、京都は延暦寺と興福寺が近く、何かと両山の
僧兵たちが神輿をふりあげ無理な要求を訴えてくるので、これを避けようとしたようでした。
同年十ニ月二十三日、近江国で源氏が蜂起し、知盛・忠教が二万余騎で
討伐に向かい、これを破ります。
平家物語は清盛の福原遷都を「何一ついいことがなかった」ようにケチョンケチョンに
けなしていますが、この時の基礎が後に国際都市、神戸につながっていくので、
全くゼロとは言えないはずです。
まあ、当時の人々にとっては迷惑以外の何者でもなかったでしょうが…。
鴨長明の「方丈記」の中にも、この都遷りの大混乱っぷりが描かれています。
福原に都があった時期の挿話としては、「月見」がキラリと光ります。
徳大寺左大将実定という人が、月の光に誘われて福原を抜け出し、旧都を
訪ねる話です。風流です。絵巻物のような、きらびやかな世界です。
平家物語の中では異質な感じです。
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